★同文書院「田中千代 服飾事典」より引用

【着物(きもの)】

着るもののこと。日本の衣服つまり和服のことをいい、特に和服の中でも長着のことをいう。 着物は前で重ね合わせて帯でとめて着る人体の曲線を無視した直線裁ちの定型性衣服である。歴史的には、奈良朝から平安末期まで、 男女の下着として用いられた小袖(こそで)が鎌倉時代にいたり礼装の場合を除いて袴(はかま)や裳(も)が略され表着として用いられる ようになり、現在の着物にと変化したものである。定型性の衣服であることである事から、形やデザイン上の変化が少なく、 種類としては材料、模様、染色、織り、袖の長さで特徴づけられる場合が多く、整然と分けるのが困難である。しかし、 今日では決まった用途、目的に合わせて決まったものが用いられる傾向にある。(たとえば、<小紋>は外出着に、<留袖>は礼服として、 <かすり>や<しま>は普段着に・・・などのように。)
種類
男子礼装:黒羽二重五つ紋付きの着物
女子礼装:黒留袖、黒振袖の五つ紋付、略礼装には訪問着さらに夏季用には絽縮緬(ろちりめん)、絽羽二重
男子正装:黒羽二重五つ紋付きの着物、または無地のお召、紬(つむぎ)など
女子正装:色振袖、色留袖、訪問着などで紋付か紋なし、夏季用として絽(ろ)、紗(しゃ)など。
喪服:黒羽二重あるいはちりめんの五つ紋、三つ紋あるいは一つ紋付
外出着:小紋、お召などの他、趣味的なものとして、<つむぎ>や上布(夏季用)など
普段着:銘仙(めいせん)、ウール、しま、かすり、夏季の浴衣
男子:丹前(たんぜん)、夏季の浴衣 年齢と生地量により大裁(本裁)、中裁、小裁などの別がある。 季節の構造上の違いで単衣(ひとえ=裏なしの着物)、袷(あわせ=裏付き)、綿入れ、などがある。
男物と女物の違い:女物が身丈を着丈より長く仕立て、着用する際あまった分を<おはしょり>にするのに対し、 男物は着丈にあまる部分を腰で縫いこんで<揚げ>にすること、女物の袖は袖つけから袖下までの部分を<振り>と呼んで開いているのに対し、 男物のそれは<人形>と呼ばれて縫ってある事を除き構造上の違いは無く、他には、色、模様、袖の形の区別があるだけである。なお女物には 広えり、狭えりの区別があるが、男物には狭えりのみが用いられる。

【長襦袢(ながじゅばん)】

和服の下着で間着(あいだぎ)として着られる襦袢のこと。単衣(ひとえ)または袷(あわせ)で<おくみ>のない 着丈に仕立てられたもの。メリンス、羽二重(はぶたえ)、錦紗(きんしゃ)などで、礼装(紋付、喪服、江戸褄など)の場合は白無地を用い、 他は色柄のはでなものを用いる。夏には平絽(ひらろ)や絽の羽二重、麻、レースなどが着用される。とくに老人用や普段用にネルや モスリンを利用することもある。

【袴(はかま)】

着物の上からはいて用いる衣服で、腰部と脚部をおおい、ひもで腰に結びつける型のものをいう。 語源(説)<はかま>の「はか」には<腰より下に帯をはく>,「ま」には<まとう>の意味がある。 袴に当たるものは我が国では古墳時代から用いられていると思われ、埴輪にみられる衣褌(きぬばかま),衣装(きぬも)等の形には、 中国の胡服とのつながりを思わせるものがある。もとは、腰に巻き付けられた布、褌(はかま)であったものが、 上衣の上につける形に変化したものとされ、<婆加摩(はかま)>,<八加万(はかま)>,<穿装(はくも)>などと呼ばれた。
袴には行燈袴のように筒型のものと、山袴のように両脚に分かれたズボン状のものがあり、山袴には襠(また)の位置の高いものと 低いものがあり、着用の目的で礼装用と作業用と区別された。
袴には様々な種類が現れ平安朝以後発達した。もっとも古いものは山袴といわれ、埴輪時代には、単純な形の物であったが 平安時代以後服装によってそれぞれ違う形の袴が用いられる様になり、 近世にいたり服装が小袖を中心としたものに変化し、特に男子の服装において袴は重要な位置を占める事になり非常な発達をみている。
すなわち腰板の発生,襞(ひだ)を作ること,裾を広くすること等が行われ、素材や種類も増加した。
平安時代には束帯(そくたい)に 着用する指貫(さしぬき)指貫を短くして裾を絞った型の小袴(こばかま),切袴(きりばかま)などが、また室町時代から江戸時代に かけて武家の礼服として肩衣(かたぎぬ)と揃いになった長袴(ながばかま)や半袴,また階級により袴の色が定められている。
女子の場合は、平安時代に十二単衣に用いられた俗に緋袴(ひのはかま)と呼ばれる紅袴(くれないのはかま)が代表的なものがあげられる 程度で男子程の発展は見られず、小袖姿になって袴を略すようになると帯にとってかわられている。
むしろ明治になり宮中の婦人制服に 取り入れられて以来、宮中の婦人の礼服として現在も用いられている緋切袴(ひのきりはかま)などがある。また袴は庶民の間で起こった ものでは無いので華族女学校の制服として採用されていた。ごく近くには宝塚歌劇団の制服であるダークグリーンの袴がある。 いずれも長着の上にはかれるものであるためズボン形式のものではない。
現在用いられている袴の袴の種類としては、男袴には脚が 左右に分かれた<馬乗袴>いわゆる<まちあり袴>とスカート状に輪なった<行燈袴>いわゆる<まちなしはかま>がある。 女袴としては<行燈袴>のみ用いられる。この他農山村で用いられる山袴があり、地方により<もんぺ>.<かるさん>,<たっつけ>等の 名称で呼ばれる。現在でも、男子の和服の礼装、正装の場合必ず五つひだ,後ろ一つひだの袴をつける事になっているが、女子の間では袴は次第に見られなくなり、わずか女学校の卒業式などで着用されるのみである。

【袷袴(あわせばかま)】

袷(あわせ=裏布のある)に仕立てた袴。奈良時代から貴族の冬の袴として用いられ江戸・明治時代まで用いられた。 大正時代より表はしま,裏は繻子(しゅす)織の二重組織になった両面織の単衣袴になった。

【行灯袴(あんどんばかま)】・【襠無袴(まちなしばかま)】

筒状に輪になった襠(まち)のない,股(また)のない袴のこと。江戸時代下級武士や足軽が用い、 行燈のようにはかまが筒になっていることからこの名がある。明治時代以後洋装に変わるまで間、男女学生、書生に愛用された。 現在女子が用いるはかまがすべてこの行燈袴であることから女袴<おんなばかま>と呼ばれる。

【伊賀袴(いがばかま)】

三重県伊賀の忍者が着用した袴のことで身軽な活動に適するように膝から下が細く脚絆<きゃはん>になった 形のはかまである。

【祝袴(いわいばかま)】

男子が五歳の祝いにはく袴。<着初め袴>ともいわれる。

【表袴,上袴(うえのはかま】

中古の服装の一つ,束帯(そくたい)の袴で大口袴(おおぐちばかま)の上、つまり一番上に着た。 ひだ,くくり緒がなくズボンのように左右に分かれていた。

【袿袴(うちぎばかま)】

明治以降の女官の正装。平安時代の宮廷の普段着であった十二単衣から唐衣(からぎぬ),裳(も)を略し、 長ばかまを切りばかまにした略装。構成は、白小袖(しろこそで),緋の切り袴(ひのきりばかま),単(ひとえ),小袿(こうちぎ), 檜扇(ひおうぎ)でたれ髪にして、履き物は袴と同じ色の絹をはった洋式のくつをはいた(袿袴姿=けいこすがたという。)

【馬乗袴(うまのりばかま)】・【襠有袴(まちありばかま)】

江戸時代の武士が馬乗りの際用いたもので、襠(まち)が高く、相引(あいびき)も高い。行燈袴に対し、 <まちあり袴>,<男袴>などともよばれる。

【大口(おおぐち)】

平安時代より表袴(うえのはかま)の下にはかれた袴。裾口の大きい切袴(きりばかま)で形態上から<おおぐち>と 呼ばれた。公家の儀式服である束帯(そくたい)には必ず用いたが略式には<くくりばかま>のみを用いた。最初は<はだばかま>として 下着的に用いられたが、のちに小袖と共に上にはいて用いた。

【男袴(おとこばかま)】

女袴に対し、男子が用いる袴。馬乗袴。男子は女子と同じ形の行燈袴を用いるが、これは男<ばかま>とは呼ばない。

【女袴(おんなばかま)】

婦人のはく袴。<まち>のない行燈袴をいう。古く緋袴(ひのはかま)を用いたが、花山天皇の時に女官以外用いる ことを禁じられ、一般には用いられなくなった。 明治になり華族女学校で海老茶袴を制服としてから、諸女学校で制服として用いられた。現在式典などで用いられている。

【狩袴(かりばかま)】

狩衣(かりぎぬ)の時に着用する六枚の布で仕立てた指貫(さしぬき)と同類の袴。指貫より筒がやや細い。

【軽衫(カルサン)】

袴の一種。本来ズボンの裾の狭いものをいうが、のちに裾にひだがなく裾幅の狭いももひきに近いはかまのことを さした。ポルトガルのカルサンをまねたもの綿布で作られ、労働者あるいは東北の寒い地方で用いられる。

【切袴(きりばかま)】

長袴(ながばかま)に対して、丈の短い足首までの袴。<平袴>,<馬乗袴>,<野ばかま>が属する。 小口袴(こぐちばかま)ともいう。

【葛袴(くずばかま)】

鎌倉、室町時代に武士が用いた葛布(くずぬの)で作った袴。狩衣(かりぎぬ)、水干(すいかん)などの下にはいた 指貫(さしぬき)よりも少し小さい、裾口をくくった小袴。

【小倉袴(こくらばかま)】

またのある<馬乗袴>のこと。特に子供・学生が用いたものを呼ぶ。

【小袴(こばかま)】

素襖(すおう)、直垂(ひたたれ)、水干(すいかん)などに用いる裾にくくりのある短い袴で、指貫(さしぬき)に似たもの。

【指子、指袴、指籠(さしこ)】

指貫(さしぬき)よりも幅も丈も短い、<くくり袴(ばかま)>のこと。狩衣(かりぎぬ)、水干(すいかん)、 直垂(ひたたれ)、素襖(すおう)などの時にはかれる。

【指貫(さしぬき)】

平安時代より、衣冠(いかん)、直衣(のうし)、狩衣(かりぎぬ)などの下衣として用いた袴。腰ひもの後部には 腰板がなく、裾口にくくり緒(お)があって、これで足首をしめるようになっている活動本意のもの。身分によって形の大小、広い狭いが あり、文様(もんよう)も地質も様々で、紫、青などの織物のものは布袴(ぬのばかま)や、衣冠の場合ふだんにはあや、薄物が用いられた。 色は冬は紫、夏は藍が多い。

【立付、裁着(たっつけ)】

山袴(やまばかま)の一種。もとは地方の武士の狩の服であったが、現在でも伝統的に用いているものもあり、 角兵衛獅子(かくべいじし)や相撲の呼び出しが用いているものである。もんぺやかるさんなどと同じく、農村や、山村で仕事着として 用いられる。

【長袴(ながばかま)】

袴の裾が長く、足を包んでもなお余る程裾を引いた袴のこと。江戸時代まで素襖(すおう)、直垂(ひたたれ)、 大紋、長上下(かみながしも)などの礼装の時に用いられた。

【野袴(のばかま)】

江戸時代に武士が旅行の時に用いた<まち>の高い袴で、裾に黒ビロードのふちをつけたもの。またこの裾の細いものを 踏込(ふみごみ)という。

【半袴(はんばかま)】

肩衣(かたぎぬ)とともに武士や庶民が式服として用いた脚の長さほどの袴で、これより長い長袴に対するもの。 肩衣と揃いにして半上下<はんがみしも>とよび、肩衣と色目や材質の異なる場合は継上下<つぎがみしも>と呼ばれた。

【紅袴(くれないのはかま)】・【緋の袴(ひのはかま)】

平安朝の女性の十二単衣(じゅうにひとえ)の装いにみられるもので、小袖(こそで)の上から着けられた 緋色の袴(はかま)のこと。普通の袴の寸法と異なって非常に長く、丈は四尺(約152a)裾口の幅は三尺二寸(約122a)もあり、右脇で ひもを結んで用いた。

【平袴(ひらばかま)】

男子袴(ばかま)の一種。小袴の括緒(くくりひも)の無い形のもので、<まち>の低いひだの少ない、幅の狭い袴である。 座ったり歩いたりしやすく、最近まで普段着として用いられていた。これの<まち>の高くなったものを<馬乗袴>という。江戸時代に平袴が 用いられるようになって、<まち>の低い平袴はすたれ、馬乗袴だけが用いられるようになった。

【襠高袴(まちだかばかま)】

一般に袴(はかま)といわれているものの代表的なもの。<座敷袴(ざしきばかま)>ともいい、男子の正装として 用いられる。<まち>が高く膝下の長い構造で江戸時代の末頃から従来の平袴に変わって用いられた。明治以降も式服として羽織(はおり)と ともに着用されている

【もんぺ】

山袴の一種。左右一対の前布、後ろ布から出来ている四布型で、腰と足首がゆるやかにしぼってある。昔は武士が旅するときに 用いたが、今では仕事着、主に<のら着>として農・山村の女性に用いられている。和服の長着の上に着用し、<かすり>や<しま>の もめん地で多く作られる。同類のもので、後ろ布が前布より小さい<たっつけ>、後部の方が大きい<カルサン>等がある。

【山袴(やまばかま)】

座敷袴(ざしきばかま)に対する名称で、働き着、のら着などとして男女共に用いる袴(はかま)の総称。 袴の中でも古くからあるもので、現在も山村・農村で見られるものである。普通の袴が10枚の布で出来ているのに対し、2枚から6枚の 少ない布で作られ、襠(まち)もあるものとないものとがある。地方により<カルサン>、<たっつけ>、<もんぺ>、<ゆきばかま>、<ふんごみ>、 <さるばかま>などが知られている。

【四幅袴(よのばかま)】

鎌倉時代以後下級武士が用いた膝より上の丈の短い袴(はかま)。前後計2枚の布で仕立てたのでこう呼ばれる。

【褌(はかま)】

太古の男子が用いた上下二部式衣服の下衣にあたるもので、上部に衣、下部に褌(はかま)をつけていた、今日の<ももひき> のように足首のへんをくくってはいたもの。このひもを足結(あゆい)とよんだ。<ふんどし>ともよぶ。→きぬばかま

【袴腰(はかまごし)】

はかまの腰板のこと。

【袴稜(はかまそば)】

はかまの相引きの上のあきのこと。

【相引(あいびき)】

もも立ちともいわれ、はかまの脇の前後の布を縫い合わせる縫い目の高さのことをいい、前後に引っ張られるところ からこの名が付いた。相引の高さは、はかまの種類により異なる。全体の幅が広くまちの高いときには高くし、幅が狭くまちの低いものは 低くする。こうすると、はかまをはいた時にひだの落ち着きがよい。またズボンのわき縫目で左右の足の外側の部分のこともいう。